副住職がつれづれに時節折々のさまをお伝えします。
日々の綴り
日々の綴り
龍廣寺もさくらが咲き始めました
東日本大震災ボランティア托鉢
昨日、群馬県曹洞宗青年会主催による、東日本大震災の追悼法要が、龍廣寺において行われました。その後、高崎駅まで歩き夕方五時まで托鉢をしました。日曜日ということで多くの人にご協力いただきました。みなさまから頂いた浄財は、被災地に責任をもってお届けいたします。
また、群馬県青年会では毎年有志により被災地にてボランティアをしておりますが、ニュースで取り上げられるように、いまだに復興の進まない地域、避難指定が解除されても人口がもどらない、高齢化、仮設住居の問題など多くの方が大変なおもいをされています。
私自身およばずながら、ほんの少しでも一助になればと考えております。この度は多くの方にご協力いただき本当にありがとうございました。
雪景色
先日高崎市でも大雪が降りました。普段あまり雪の降ることのない高崎市、そのたびに私が思い出すのは、曹洞宗の本山、永平寺のことです。北陸福井県の山奥雪深いところにある禅の修行道場。
上山当時のことは、目を閉じればいまでも情景が浮かんできます。
早朝の薄暗い時間帯に、山門に向かって薄く雪の積もった石畳の階段を草鞋で登ってゆきます。わらで編まれたその履物は、足の体温で溶けた雪でだんだんと濡れて染み込んできました。山門の前に着くと、高崎あたりのお寺では見たこともないような初めて見るその大きさに圧倒され、廊下を先輩の和尚さん達が「はーい」「はーい」と大きな声を出して全力で行ったり来たり雑巾がけをしている。ピリピリとした張りつめた空気でした。私のこの目の前に今まで見たこともない世界が広がっている。正直に申しますと、あぁーとんでもない場所に来てしまったかもしれないというのが感想でした。
山門に着いてもすぐに永平寺の中に入れてくれないのです。雑巾がけが終わった後のいきなりの静けさ、あの雪国の朝独特の静けさがあたりを支配します。迎えの和尚さんが来るまでそのまま微動だにせずに山門前に立ち続けます。本当に今までの生活をやめてこの修行道場に入るだけの覚悟があるのかどうか、自分の心に問いなおす、自らを見つめ直す、長い長い時間があります。
濡れた草鞋、足の底の方から寒さが襲ってきて、「じーんじーん」としびれるような痛さからはじまりだんだんと手足の感覚がなってくる。まだか、まだか、なんておもい、未知の修行、不安に押しつぶされそうな気持ち、ここで帰ってしまったら師匠や檀信徒のみなさんに面目が立たない。いろんな気持ちが混ざり合う。
ここで帰ってしまう人もいると聞いていました。顔は動かせないので、視線だけで両隣に同じように入山を許されまで立っている人の足元を見て、「のこってる」「のこってる」と安心して、「私も頑張ばなければ」と思う、膝ぐらいまでの感覚がなくなり、腕もかじかんでどこにあるのかわからなくなってきたころ、やっと、ほんとうにやっと先輩の和尚さんが迎えにきました。
かと思えば、そして山門の前に立っていた私たちに、私の時は八人いましたが、その一人ひとりに「なぜ修行しにきたのですか?」と心構えを聞かれるのです。全力で「仏法を学ぶためです」と叫びました。それが終わってやっと永平寺にはいることを許されます。「あぁやっと入れた」と安心したのがそもそもの間違いでした。その後から先輩の和尚さんからの約一週間に及ぶ、これから修行生活を送る基本となる本格的な指導が始まりました。
よくテレビなどで山門の前に立っている永平寺の僧侶の姿が放映されています。しかし、本当にそれだけの覚悟がなければ、耐えられない生活が始まることをこの身で実感しました。
禅を聞く会
毎年十一月の終わりころに群馬県曹洞宗布教部主催で「禅を聞く会」という法話の会が開かれております。
昨年は、前橋市のメモリードにおいて、メディア等に数多く出演されている駒沢女子大学の千葉公慈先生に講演をお願いしました。
その冒頭で「便利」と「人間らしさ」についてお話されました。遠くない将来東京~大阪間を七分で移動できるようになり、ロボットはどんどん進化してすでに、高性能なロボットはロボットでしかつくれない時代が今だそうです。人は苦労しなくとも、なんでも楽に、自分の思い通りにできる時代になるだろう、そう話していました。
ただ、それが人間らしさか?とも問題提起されました。最近の小さな子どもたちの絵には、手足が描かれなくなり代わりに頭や目ばかりが大きく描かれるようになってきたそうです。
今の世の中、ゲームやテレビ携帯電話の発展で、情報が溢れ、視覚中心の世の中になってきてしまっているその影響。情報の中で知った気になって本当に大切な心が失われてきているのではないか?と話されていました。
飲み水、トイレ、お風呂と生活に欠かせない水一つとっても、昔は川から汲んできた水、井戸からつるべで汲み、そのうちにポンプで井戸からくみ上げられるようになった。そして今は捻るだけで、汗一つかかずいくらでも出てくる。そのうち、いったいどうなるのか?
水を例にだしましたが、食材でもなんであっても自らの手でしたことがなければ、もの大切にすると教えてもその実感が湧かない、自らするということの大切さ。そして、現代で低年齢層の腰痛や運動機能の低下がニュースになるほどですが、便利になればなるほど、退化してゆく人間の身体。
便利と幸せはイコールではない。これから一人一人が人間らしさ、とは何か考えていかなければいけない世の中になるのではないのではないでしょうか?
明けましておめでとうございます。

明けましておめでとうございます。副住職としてホームページを初めておよそ一年が経ちました。いつも見ていただいて本当にありがとうございます。毎年恒例の除夜の鐘では、冷え込むなかおよそ100名の方にお越しいただきました。まことにありがとうございます。
梵鐘を撞く順番をお待ちいただいている最中、お互いに新年の挨拶を交わされている方たちや鐘撞堂裏の火に、お守りやだるまさんやおふだをくべて「一年間ありがとう」と手を合わせている方たちをみると、私自身も感謝を忘れないようにしていきたいと思わされました。みなさまはどのような気持ちを胸にこの一年に臨まれるでしょうか?
2019年は平成から新たな年号に変わる年となりました。皆様にとって、本年が健やかな年となりますようご祈念申し上げます。




