由緒

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髙﨑山清凉院龍廣寺の歴史

 徳川四天王の一人とよばれた井伊直政(1561-1602)が開基の寺院。直政は箕輪(現在の箕郷)より髙﨑に城を移す時に、信任の厚かった龍門寺住職白庵秀関和尚とともにこの地に来ました。そして、慶長三年(1598)白庵和尚を初代住職として龍廣寺を建立した。


髙﨑山清凉院とは?

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 龍廣寺の正式名称です。井伊直政が、「和田」と呼ばれていたこの地に新たに築城する時、龍廣寺初代住職白庵秀関和尚と相談され、この地を「高崎」と命名しました。そのことから山号を「髙﨑」とし、井伊直政のお戒名が「清凉院」であったことから、髙﨑山清凉院龍廣寺となりました。そのため、県内でも唯一の「髙﨑」の山号を持つ寺院でもあります。