日々の綴り

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副住職がつれづれに時節折々のさまをお伝えします。

日々の綴り

涅槃会

2日前の、2月15日はお釈迦様の亡くなった日でした。涅槃会といい、仏教寺院の多くは、上の写真のような掛け軸をかけて追悼のお経をあげます。

この度は、お釈迦様最後の教えと言われるお経(涅槃経)の一説を紹介いたします。

『汝等比丘、諂曲心は道と相違す。この故に宜しくまさにその心を質直にすべし。まさにしるべし諂曲は但為欺誑なりと』

私訳『あなたたちよ、こびへつらう曲がった心は仏道とは違うのです。そのため、しっかりと心を素直(誠実)にたもたねばならない。正しく知らねばならないのです。こびへつらうということは、相手を騙し欺くものであると』

最近「マウントをとる」という言葉をよく聞くようになりました。相手より優れている部分を自慢し優位に立とうとする姿勢です。尊大な態度をもって、下に置いた相手にいうことを聞かせるという意味がりあます。よくない意味でつかわれる言葉です。

涅槃経の一説はその逆ですね。わかりやすく言えば「バカもおだてりゃ木に登る」ということです。相手こびへつらって自分自身を下に置くことで、相手を自分の有利にコントロールしようとすることを窘めているのです。相手に嫌われたくない、よく想われたいからと人によって顔色を変えることもこちらに含まれます。

実はベクトルが違うだけで「マウントをとる」ことと同じことであるのは、驚きではないでしょうか?実はどちらも自分のことしか考えていないのです。

お釈迦様の説法の本意は「自分本位から離れる」というところにあるのではないでしょうか?

自分自身に「こびへつらい」を持てば「あの人に比べこんな劣った自分には修行などできない」と逃げる言い訳になります。

相手に真摯に向き合う、自分に真摯に向き合う。難しことではありますが、家族や親友などには自然とできている部分もあるのではないでしょうか?涅槃会にちなみまして、すこし自身の足元を見つめる時間をもってみましょう。

「修行」と「修業」

私は大学で初めて仏教の授業を受けたときに、「修行」と「修業」、何が違うのだろう?と思ったのです。それまで小中高と学校では「始業式」「終業式」「卒業式」ということを考えれば「修業」で統一すればよいのにとさえ思っていました。

先日、萩本欽一さんの「ダメな時ほど笑っている?」という著書の中に答えがありました。

きんちゃんは、それまで「コメディアン修業」という言葉を使っていたそうですが、駒澤大学の仏教学部に入学しその意味を知ったのをきっかけに、「修行」という字を書くようになったそうです。

「業」には、仕事や、学問、授業という意味があります。業を修めるとは、先生などがいて、正解や答えがあって一定期間それを学び修めることだそうです。だからこそ、終わりがあるので、「卒業」があります。一方「行」には、おこないや、ふるまいといった意味があります。

きんちゃんは、「そうだ、コメディアンにも卒業や定年もないからやっぱり『修行』なんだ」とも言っています。その言葉を見たとき、私は、コメディアンとして生きていくとは、なんて大変なのだろうかと思いました。あれほどの人物でもここまで極めたから終わりやゴールに到着したと言えないのか?と思ったのです。

 きんちゃんは続けて、「自分で行いながら今までになかった正解をどこまでも追求して行くのが「修行」。だから、勉強のゴールは先生から〇(マル)をもらうことだけど、修行には終わりがない。もし自分で自分に〇をつけてしまったらそれこそそこで「終わり」じゃないかな」と言ってもいます。

 私はこのことを自身の人生に当てはめてそことても深い意味を持つのではないかなと感じます。

そもそも仏法の一番代表的な句と言っても差し支えない「七仏通誡偈」悪いことをせず善いことをしなさい、と言われているように、仏教とは人の生きる道を説いた教えといってもいいものです。人生において答えなどその時々で変われば、生きている限り終わりもない。私たちの生き方です。「卒業」はあっても「卒行」はない。

お釈迦様が亡くなる前に弟子たち残した「怠ることなく修行なさい」と、欽ちゃんの言葉。大切にしてゆかなければなりません。

新年あけましておめでとうございます。

まだまだ、厳しい寒さが続いていります。お身体ご自愛くださいますようお願い申しあげます。本年もよろしくお願いいたします。

永平寺の参道正面入り口に二本の石柱が建っています。そこには、

「杓底一残水(しゃくていのいちざんすい)」

「汲流(ながれをくむ)千億人(せんおくのひと)」

と刻まれています。

永平寺は福井の山々に囲まれ大変水の豊かなところに建てられています。冬には、建物が埋まるほどの大雪が降り積もり、桜の散るころまで雪解け水が流れつづける。耳を澄ませば、小川のせせらぎに囲まれている。そんな場所にあります。

いまからおよそ八百年前、初代住職である道元禅師さまが、福井でお寺をたてる場所を探しているときでした。山あいを歩き続けた身体をすこし休めようと、小川のほとりに腰掛け、柄杓で水をすくいのどを潤しました。道元禅師様は、のどの渇きを潤すだけ飲んだあと柄杓の中に残った水を、無造作に捨てることをせずに、丁寧にもとの小川に戻しました。一緒にいたお弟子さんが「どうして戻されたのですか?」と聞くと。道元禅師様は「柄杓の底に残ったたったこれだけの水でも、その流れは千億人の人に及ぶことになるのだ」とおっしゃいました。そんな逸話が残されているそうです。そのことから永平寺の正面の石柱に、「杓底一残水 汲流千億人」の言葉が刻まれました。

現代では、水道の蛇口をひねれば、いくらでも水がでてきます。しかし、一昔前、水道など無い時代、一つの桶に汲んだ水を無駄にならないように丁寧に綺麗に使い、桶に残った水も、これから水を使う、下流にいる多くの人たちの為に、綺麗なまま元の流れ井戸や川に戻したそうです。修行道場でも、最初に顔を洗うための桶一杯の水の使い方を教わります。節水の教え、それだけはでなく、修行道場での生活すべてに通じます。仏様の教えが水のように脈々と流れている場所、そこに一歩足を踏み入れたならば、私たち一人ひとりが何百年と続くその教えを受け取り、また綺麗なまま、後の世に伝えていかなければならないとの教えです

私たちが今なにを受け継いでここにいるのか考えることは、修行道場に留まらず、日々の生活においても大切な生き方ではないでしょうか?

新年に普段なかなか会えない家族や親戚が集まりゆっくり語り合う。お墓参り静かに手を合わせていると心の中を駆け巡るもの。おじいちゃん、おばちゃん、両親、友達、先生、大切な人とのかけがえのない想い出や出会い。忘れられないもの。

きれいなものも、嫌なものもいろいろなものを受け継いで私たちは生きています。

その中で自分に流れてきたものに気づくことは、この自身の命に積み重なってきたものであり、自身の中で息づいた大切なものに今を生かされていることを教えてくれます。

そして私たちの言葉や行動の一つ一つが「杓底一残水」として次の人たちにいろいろなものを伝えることを忘れてはいけないのかもしれません。

通夜と葬儀

なぜかお通夜と葬儀は二日に分かれています。正確なことはわかりませんが、一つの説としてお話したいと思います。

時代は遡りまして、仏法を説いたお釈迦様が亡くなる直前のことです。身体は衰弱しもう寝そべったまま起き上がることのできないお釈迦様。その枕元に悲しみに暮れる多くの弟子たちが集まりました。

そして口々に言うのです。「お釈迦様あなたがなくなったら、私たちはこれら先何を信じて生きていけばいいのか、どうすればいいのか」と。

その弟子に対してお釈迦様は「自灯明、法灯明」といいました。自らを灯明、明かりとしなさい。法、教えを明かりとしなさいといったのです。無常である今の世の中、それはまるで一寸先はどうなるかわからない暗闇のようだ。その中に灯す明かりは一つの道しるべです

お釈迦様は、弟子たちに対し他に寄りかかるのはなく、自分自身の日々の行い心を道しるべとし、仏法教えを道しるべとし、一歩一歩歩んでいきなさいと最後に言って旅立ちました。

その後、枕辺に集まっていた弟子たちは、口々にお釈迦様が生前のこした教えを確認しあったのです。「こんなことを教えてくださったね」「いつも自身に厳しくこんなことをしたね」など、私たちもこれらからそうして日々生きてゆこうと、お釈迦様が最後に残したことば「自灯明、法灯明」改めて胸に刻んだのです。

この出来事がお通夜の原型ではないかと言われています。その後旅立っていた一番弟子の到着をまち、葬儀火葬が行われました。

実は今もインドのベンガル(バングラディッシュ)地方の仏教徒は葬儀のおり、亡くなられた方の遺族が僧侶の後ろにあつまり、故人が生前残した尊いこと、素晴らしいこと見習わなければならないこと、教えてくれたこと、そんな良いことを一つ一つ口に出して数えていくそんな風習が残っているそうです。そちらのことを友人に聞いたところ生前から家族などがノートに一つ一つ素晴らしい所を書いていくそうです。

葬儀というのは、故人が成仏するためのものです。仏と成るとその字も書き、お釈迦さまが亡くなった時の出来事にならっています。人間ですから様々な面がありますが、よろしくない部分は忘れる、または自分自身で消化する。そして、亡き方を仏様として頂くために、良きことや見習わなければならないことを、自身の灯明として、一つ一つを自分のこととして日々生活していく。

1つの供養のあり方です。

明治天皇

平成から令和へと変わり二か月が経とうとしています。

何かが変わったよう、渦中にいる私たちが感じるこは少ないかと思います。

しかし、明治・大正・昭和と振り返りますと、やはり大きな節目の一つを今生きていることを感じるのではないでしょうか?

明治天皇にはこのような歌があります。

「器には従いながら岩金も通すは水の力なりけり」。

水というのは、容器にあわせて形を変えます。四角くでも、コップでも、どんな形のものにでも隙間なく納まります。しかし、雨だれの一滴一滴が、岩や鉄をも穿つ力を持っています。

その立場や役目に応じて柔軟さ優しさや包容力をもって、器にあわせて変わる水のように対応してゆく。しかし、一転その内面には、岩や鉄をも穿つ水のような、強い信念を持っていなければならない。

難しいことです。そして、今を生きる私たちに足りていない部分でもあります。

私は「器に従いながら」と初めに来るのには深い意味があると思うのです。ただ、信念を突き通すのみで、他の人のことを考えなかった単なる我儘や迷惑になるでしょう。人との衝突は避けられないかもしれません。

そうではなく、まずその環境や周りの人の想いや心を考え、自分自身をそこにあわせていく。謙虚でなくてはならない。そのうえで信念を持ち続けなくはならないのです。

この度は、私自身が教訓にし同時に励みをもらう言葉を紹介させていただきました。