仏教詩人として名が知られる坂村真民さんの詩をご紹介します。
「海の中の石たちは
みなまるくなろうとして
あんなに毎日もまれているのだ
わたしはそういう石の心が
いとしくて
まるい石を拾うては
手のひらであたため
ほめてやる」
もまれて、丸くなってゆく。坂村真民さんは、「病気よし、失恋よし、不幸よし、失敗もよし、泣きながらパンを食うもよし、大事なことは、そのことを通して、自分を人間らしくしてゆくことだ。人の痛みのわかる人が本当の人間なのだ」とも言っています。
仏教にとても詳しいであろう中島みゆきさんも、『銀の龍の背にのって』という曲で「柔らかな皮膚しかない理由は人が人の傷みを聴くためだ」と歌っています。
若い時ほど、認められたいという気持ちが強く、とがって人にぶつかったり、人を非難したり、負けてたまるかという気概で生きています。でもお互いぶつかりあってその角が取れてゆく。病気や大切な人との別れと経験すれば、自分の命、健康に対する驕りという角も取れていく。人生の海もまた、もまれれば、もまれるほど丸く丸くなってゆく。丸くなって誰も傷つけなくなってゆく。でもその姿は美しいなと思うのです。
私は朝日を見るのが好きなのですが、昼間の様に光が強くなく、意外と小さな太陽のまんまるの様子がよく見えるのです。ただただ美しい。人との出会いもそう、こんな美しいな生き方があるのかと思わされることがあります。
仏教では、円は悟りの境涯です。「一円相」というただ、一つの丸が書いてあるだけの掛け軸も多くあります。心身が欠けること無く満たされているのです。
『酸いも甘いもかみ分ける』という言葉もありますが、人生経験をつみ、たおやかで芯のある人間になってゆくのです。
もし、一円相の掛け軸をご覧になることがあったら、自分はどのくらい丸くなったとうかと、是非思い出してみてださい。