江戸時代に、白隠禅師という有名な禅僧がおりました。 ある日、一人の武士が禅師のもとを訪ねてきます。そして、「禅師様、 地獄・極楽は、一体どこにございますか」と質問をします。武士は、 有名な禅師と聞いているが、力量はいかほどなのかと、試しに来たのでした。
すると、
「地獄・極楽のあり場所を心配するなんて、お前は へなちょこ武士じゃのう」
と、暴言を吐く禅師。その言葉にムッとし て武士は
「いかに高僧とて、こうまで愚弄するとは、許せない」
と、 刀に手をかけ抜刀します。人間欠点を突かれると逆上するものです。 禅師は、ひょいひょいと刀をかわし、逃げながら、なおも武士をから かうのです。武士は、満身怒りで一杯になり、刀 満身怒りで一杯になり、刀を大きく振り回して 切りつける。それをさっとかわして禅師はこういったのです。
「それ、そこが地獄じゃ」
と。ハッと気づく武士。彼は、へとへととその場に座り込み、肩で息を しながら、武士は禅師にわびたのです。
「老僧、御無礼の段、平にお許しを・・・・」
白隠禅師は、すかさず
「それ、そこが極楽じゃ」
と。人間は、生まれながらにして「貪る」「怒る」「愚痴る」の毒(癖) を持っています。
「貪り」の根源は、「無性に嗜好を求める」心であり、 「怒り」は、「嫌悪に対して拒否する」心であり、「愚痴る」は、「何 事にも無知で無関心」 の心から生じるのです。好きな物はどこまでも貪り、嫌いなもの に対して拒否し怒り、自分に関係のない事はどこまでも無関心を貫く、 このように毒を持っているのが生身の人間です。その毒素によって心が病み、自信を失い病気になる事に気付くことが必要でしょう。地獄・極楽は、私たちの心の中にあることを、この話は教えています。心の持ち方いかんによって、行為のいかんによって地獄にも極楽にもなる事を、禅師は武士に説いて聞かせたのでした。