タモリさんの好きな言葉

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誰もが知る芸能人、一昔前のお昼の顔といえば、「わらっていいとも」の司会で知られるタモリさです。

この度はタモリさんの名言を紹介します。

 

「まぁ私も結構活躍しいるみたいなんですけれども、宇宙から見たらもう

どうでもいいですね」

「人間って『自分がいかに下らない人間か』ということを思い知ることで、

スーと楽になれるもんじゃないかな」

「好きな言葉は『適当』」

 

そうタモリさんはおっしゃったことがあるそうです。タモリさんは他の番組にもでていますので、一年のうちに休日など数えるほどしかない。そんな生活を30年以上。どれほどの苦労があったのか、想像することもできません。だからこそ、そこに込められた奥深さを想像してしますのです。

私たちは、自分のちっぽけさや無力さ無意味さ、命の儚さを、心のどこかで、知っている、でもやっぱり眼を背けたい。さらに仏教的に言えば、「この私」と言う意識がいつどこから来て、どこから始まって、いつ終わるか何もわからないわけですから不安なのです。

肩書きや、人気、学歴、お金、若さ、そういったもので人と比べ、認めてほしい、人の上に立ちたい。その気持ちがどこからくるかって言えば、「安心したいから」なんだそうです。だからこそ、肩書きや、学歴、お金、若さなどに固執して私というものを確率しようと奮闘する。競争の中で心は常に落ち着かず、身体は強張る。

タモリさんは宇宙から見ればといいましたが、「自分がいかにくだらない人間か」と認めてしまえばいい、そうすれば心が楽になるからと伝えているのです。

タモリさんにはこんなエピソードもあります。

遊びの場で「仕事じゃねえんだぞ!真剣にやれ」と怒ったという話や、仕事の場で「やる気のあるものは去れ!」と言ったといエピソードです。

遊びだから適当でいい、仕事だからやってやる。その気持ちの陰にある、「私が、俺が」という気持ちが強くなると、自然体から離れてしまう。「やってやる」という気持ちが強すぎれば、身体や心が緊張し本来の力がだせないなど、身体や心に無理がでるものです。無理をすれば、やることも長続きもしない。30年以上「笑っていいとも」の司会をしていたタモリさんの出した答え、『適当に』。

それは決して「だらだら」、「どうなっても」という意味ではなく、心も身体も丁度、自然体にピントを合わせるという意味でしょう。私たちが人生を楽しく生きる大切なヒントです。

 

最後に実はタモリさんは赤塚不二夫さんに見いだされ芸能界にはいり、赤塚さんを父のように、兄のように慕っていたそうです。その為、仏教に非常に精通されています。最初に上げたタモリさんの言葉、仏教用語などは使われていませんが、仏教の根本に生き方が説かれています。

 

 

 

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