新年あけましておめでとうございます。

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まだまだ、厳しい寒さが続いていります。お身体ご自愛くださいますようお願い申しあげます。本年もよろしくお願いいたします。

永平寺の参道正面入り口に二本の石柱が建っています。そこには、

「杓底一残水(しゃくていのいちざんすい)」

「汲流(ながれをくむ)千億人(せんおくのひと)」

と刻まれています。

永平寺は福井の山々に囲まれ大変水の豊かなところに建てられています。冬には、建物が埋まるほどの大雪が降り積もり、桜の散るころまで雪解け水が流れつづける。耳を澄ませば、小川のせせらぎに囲まれている。そんな場所にあります。

いまからおよそ八百年前、初代住職である道元禅師さまが、福井でお寺をたてる場所を探しているときでした。山あいを歩き続けた身体をすこし休めようと、小川のほとりに腰掛け、柄杓で水をすくいのどを潤しました。道元禅師様は、のどの渇きを潤すだけ飲んだあと柄杓の中に残った水を、無造作に捨てることをせずに、丁寧にもとの小川に戻しました。一緒にいたお弟子さんが「どうして戻されたのですか?」と聞くと。道元禅師様は「柄杓の底に残ったたったこれだけの水でも、その流れは千億人の人に及ぶことになるのだ」とおっしゃいました。そんな逸話が残されているそうです。そのことから永平寺の正面の石柱に、「杓底一残水 汲流千億人」の言葉が刻まれました。

現代では、水道の蛇口をひねれば、いくらでも水がでてきます。しかし、一昔前、水道など無い時代、一つの桶に汲んだ水を無駄にならないように丁寧に綺麗に使い、桶に残った水も、これから水を使う、下流にいる多くの人たちの為に、綺麗なまま元の流れ井戸や川に戻したそうです。修行道場でも、最初に顔を洗うための桶一杯の水の使い方を教わります。節水の教え、それだけはでなく、修行道場での生活すべてに通じます。仏様の教えが水のように脈々と流れている場所、そこに一歩足を踏み入れたならば、私たち一人ひとりが何百年と続くその教えを受け取り、また綺麗なまま、後の世に伝えていかなければならないとの教えです

私たちが今なにを受け継いでここにいるのか考えることは、修行道場に留まらず、日々の生活においても大切な生き方ではないでしょうか?

新年に普段なかなか会えない家族や親戚が集まりゆっくり語り合う。お墓参り静かに手を合わせていると心の中を駆け巡るもの。おじいちゃん、おばちゃん、両親、友達、先生、大切な人とのかけがえのない想い出や出会い。忘れられないもの。

きれいなものも、嫌なものもいろいろなものを受け継いで私たちは生きています。

その中で自分に流れてきたものに気づくことは、この自身の命に積み重なってきたものであり、自身の中で息づいた大切なものに今を生かされていることを教えてくれます。

そして私たちの言葉や行動の一つ一つが「杓底一残水」として次の人たちにいろいろなものを伝えることを忘れてはいけないのかもしれません。

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